明治大学落語研究会

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明治大学落語研究会OB会

ご挨拶 歴代会長挨拶 OB専用掲示板

「違いの分からない伝説の男」
 先日、上野のマルイに靴を買いに行きました。いつも買っている靴売り場で、いつものブランドの黒い靴。自分のサイズを見つけて履いたら、右と左の大きさが微妙に違っていました。店員さんに「なんか、右と左の大きさ違うね。」と言ったら、店員さんが「人間、みんな右と左の足の大きさが違うんですよ。私なんか右の方が大きくて、左は小さいんです。」と、のたまいます。
 そこで私は「あっそう、なら、右と左で違うサイズの靴は買えないの?」と聞いてみると、「それは出来ませんね」とキッパリ言われました。
 試しにそのまま歩いてみると、多少の違いはありますが、歩きやすいのでその靴を買い、古い靴は捨ててもらい、新しい靴を履いて店を出ました。
 私は1日15,000歩、歩くことを目標にしていますので、その日も新しい靴でたくさん歩いたら、とても歩くのが楽しくなり、ハズむ様な感じでした。これはいい!となり、次の日、同じマルイの靴売場に新しい靴を履いて、颯爽と出かけていきました。
 2日連続、同じ売場で靴を買うのです。昨日の店員さんは居ませんでしたが、若い女性の店員さんがいました。そこで私は自信満々に「昨日、こちらでこの靴を買ったんですが、とてもはきやすいので同じタイプの茶色い靴が欲しいんですが」と聞くと、その女性の店員さんが私の顔を見てびっくりして「エ??ッ!お客様少々こちらでお待ちください」と言って慌てて奥へ引っ込んでいきました。私は何でこんなに店員さんびっくりしてるんだろう、ちゃんと支払いも済ましたハズなのにと思っていたら、その店員さんが一足の黒い靴を持って来ました。

六代目会長 矢内 芳則

「すいません。昨日お客様に右と左、違う靴を売ってしまった様で。」
 「何ッ!」驚いて靴をよくみてみると、右と左が形の違う黒い靴でした。靴屋なのに、右と左違う靴を売りつけるとは、なんてダメな靴屋だ!(怒)と思いましたが、その違いにも気付かず、履き心地がいいので、次の日また買いにいく自分もどうなんだと思いました(泣)。次の日、この売場ではさぞかし私の話題で盛り上がったことでしょう(笑)。私は多分、上野マルイの靴売場では「違いの分からない伝説の男」として語り継がれていくのでしょう。
「違いの分からない伝説の男」六代目会長、矢内芳則です。

六代目会長 矢内 芳則

ある日ある時、東京・浅草、昼さがりの会話……
「こんちわぁ、ご隠居いますか?」
「おや、なんだい塚田クンじゃないか、まぁまぁおあがり……」
「はいっ。ご馳走さまです」
「なんだい、ご馳走さまってのは?」
「だって、おマンマおあがりって、隠居さんが言うから」
「そうじゃあないよ。用があるんだろうからまぁ、座敷におあがりってね」
「な〜んだ、がっかりだな……そんなこたぁ、どうでもいいんで。今日はご報告にうかがいました。不肖私こと
塚田眞弘、このたび明治大学落語研究会OB会・五代目会長を拝命つかまつりました、エヘン」
「おや塚田クン、莫迦に改まったね。なんだい、その明治大学落語ナントカってのは?」
「えっ隠居さん、知らないんですか!?明治大学落語研究会といえば、創部50年の歴史を有し、数々の芸能人を輩出した落研の中の落研、ザ・落研、てな団体でして。あの明治大学でも、野球部やラグビー部と並んで週刊誌でも採り上げられて、今やブランドとってもいいほど有名なんですよ。それを知らないなんざ、隠居さん、モグリだな」
「モグリとはしどいな。で、そのOB会ってのは何をするン?」

「明治大学落語研究会OB会は300名以上の会員がいましてね。ただ思い出話に明け暮れてるわけじゃあない、
去年(平成23年)だって、『明大落語会』と銘うって、1200人のお客様に来ていただいた落語会を大成功させたのをはじめ、盛んに活動を重ねてるってわけで」
「ほう、そりゃあ屋根屋のふんどし、見上げたもんだねぇ。で、その五代目OB会長ってのはどんな役なんだい?」
「そう、そこなんですよ。隠居さんに聞きたいのは、ボクは何をすりゃいいかってね?」
「おいおい、ヒトに聞いちゃあいけないね。だいいちボクってぇ顔じゃないよ、お前さんは。あたしは塚田クンのことは子供のころからよく知ってるが、下町の学習院幼年部と呼ばれる名門・浅草寺幼稚園を優秀な成績で卒業した
同級生と一緒に卒業したんだよね。長じては、明治高校・明治大学商学部と、明治ひとすじを、優秀な成績で卒業した同級生と一緒に卒業……」

「もう、その話はいいですよ」
「よかぁないよ。その上、塚田クンは江戸っ子らしく舌ったらず。でも、べらんめえ調とはほど遠い、いわば
チャキチョキの江戸っ子くらいのもんかなぁ〜」
「チャキチョキですかい?ジャンケンじゃないんだから・・・ところで、OB会長ってのは、何をすれば?」
「さあ、そこだ。あたしが考えるに、歴代4人の先輩会長の業績に泥を塗るようなことをせず、若い世代に衣鉢を継いでいくことが、塚田クン、きみの使命だな」
「なんですか?そのイハツってのは……あっ!わかった!『宿屋の仇討ち』の番頭でしょ」

五代目会長 塚田 眞弘

「まぁまぁそんなもんだな。とにかく、先輩方と後輩連中、それぞれの間をうまく
繋いでいく、そして現役の学生諸君が活動しやすいように応援する。それが
OB会長の本分だな」
「ハイっ、わかりました!誠心誠意・神社仏閣、一所懸命・一路真輝で頑張ります。ところで粗茶はまだですかい?」
「とにかく頑張っておくれ。塚田クンなら、きっと周りの人たちが盛りたててくれるだろうし。安心して御神輿の上に乗ってればいいやね」
「また隠居さん、そうやってボクのこと、尊敬してぇ」
「ウーン……」
こんな会話がホントに交わされたかは定かではありませんが、とにかく頑張ってまいります。

五代目会長 塚田 眞弘

今から50年前、昭和36年夏のこと。漫画研究会(漫研)に時々顔を見せる二人の青年が当時の明大の名物教授を訪問した。この教授名前を藤原弘達という。テレビで幾つものレギュラーを持つ売れっ子で、この教授から『風刺のツボ』を聞き出そうというのである。ところがである、藤原弘達の口をついて出て来たのは、何と落語研究会の話ではないか。当時、六大学の中で落語研究会(落研)が無いのは我が明治だけであった。藤原弘達は『どうだ、ワシが部長をやるから、お前ら落研を創ってみないか』というのである。さっそく二人はポスターを作り、掲示板に張り出した。ここから、我が明大落研の歴史が始まるのである。

この青年達、一人は決局、落研に顔を出すことのなかった小野といい後の漫研幹事長。もう一人が我が落研、初代幹事長になる井原昌三である。そして、参加して来た北林昭三と交流のあった先輩で当時売り出し中の講談師、宝井琴鶴(現 宝井馬琴)に顧問を御願いすることになったのである。

大学の校友課で聞いて驚いた。『明大は各倶楽部とも長い歴史を持っていますが、OB会があるのは、落語研究会だけですよ』というのである。各倶楽部ともOBはたくさんいても、組織だっていないというのである。学生時代は一、二を争ういい加減さの極と見られていた我らが落研である。一体どういうことであろうか。無い頭を絞って考えてみた。何事にも縛られない奔放さ、OB会のようなものであったのが良かったのかも知れない。またOB会員の持っている、いい加減さとその裏側に見え隠れする生真面目さが良かったのか。

四代目会長 小林 健二

あれこれ考えた結論は、皆な落語が大好き人間ということだ。その時代、時代での贔屓の落語家は違っていても二人集まれば、落語論や芸の話になる。大袈裟に言えば、落語は時代を超えて繋がっているのである。落語大好き人間の集まりのOB会のようなものをこれからも大事にして行き度いと思っているあれこれ考えた結論は、皆な落語が大好き人間ということだ。その時代、時代での贔屓の落語家は違っていても二人集まれば、落語論や芸の話になる。大袈裟に言えば、落語は時代を超えて繋がっているのである。落語大好き人間の集まりのOB会のようなものをこれからも大事にして行き度いと思っている。あれこれ考えた結論は、皆な落語が大好き人間ということだ。その時代、時代での贔屓の落語家は違っていても二人集まれば、落語論や芸の話になる。大袈裟に言えば、落語は時代を超えて繋がっているのである。落語大好き人間の集まりのOB会のようなものをこれからも大事にして行き度いと思っている

四代目会長 小林 健二

「吉原をホッコク(北国)といって、品川をミナミ(南)といって、洲崎をタツミ(辰巳)といって、千住をコツといった…学校じゃああんまり教(おせ)えないけれど…」。五代目古今亭志ん生がよく使っていたフレーズです。学生時代に「落研」に属し、寄席へ足しげく通ったおかげで、学校では教えてもらわなかったことを、よく勉強させていただきました。

無筆、差配、吝嗇、符丁、尾籠、疝気、はんちく、中っ腹、判じ物、入費、焦がれ死に、傾城、苦界、間夫、間男、糠袋九尺二間、唐土、臥煙、損料屋、口入屋、棒手振り、女衒、漉き返し屋…。数えあげればきりがありませんが、みんな寄席で覚えた言葉です。遊女のしきたり、花魁が話す言葉、長屋の構造、江戸っ子の生態、おかみさんの知恵、職人の収入…。落語にはありとあらゆることが出てくるので、江戸時代の時代考証ならだいたい見当がつきます。

落語が分かれば江戸時代を理解できます。『江戸文化歴史検定』は、落語を知っているだけで3級は受かります。うそだと思うならやってごらんなさい。落ちたらそれまで。「人間あきらめが肝心です」。「落語が好きだ」というと、社会では軽く見られることがよくあります。軽視するのは落語と漫才の区別がつかないような人種なのですが、これが「駄洒落は非論理的な思考から成り立つのだから、そういう奴らは論理的な思考力がない」などと訳知りなことを堂々と述べるので、周囲が納得してしまうことがあるのです。

三代目会長 武藤 洋一

駄洒落。低俗な地口遊びだと切り捨てることなかれ。知人から「どうすればおもしろい駄洒落を思いつくのか」と聞かれたことがあります。「都道府県の名前で考えてごらんなさい」と答えたところ、翌日返ってきたのが「男のミエと女のサガ」まるでそのままでした。鼻の先で笑っていると「お手本を示せ」という。「それじゃあ」と言ったのが「ヒョーゴをお知らせします」「イバラ・キ肉のタレ」「ギーフシチュー」「シマネコンプレックス」「アイチンゲール」…。
お手本になっていませんか。でも、少しは陽気になったことでしょう。「えっ?何ですか?…私のレベルがフクイ?…
分かりました。それじゃあ私にコーチしてください。」

三代目会長 武藤 洋一

落語家の生活向上を

「落語は嫌いだ」という人はほとんどいません。しかし、好きさ加減が問題なのです。「テレビでやっていれば見る。
でも、ほかに見たい番組があればそっちを見る」…このあたりがもっとも多いのではないでしょうか。それでも「落語は好き」というのだから厄介なのです。「落語会のチケットがもらえれば聞きに行く。でも雨が降ったらやめようかな」。せいぜいこのあたりまででしょう。
「雨が降っても行きますよ」「自分でお金を払っても行きますよ」という人は、そうはいません。「親の葬式なんざァ人に頼んででも行きますよ」。これはいない。「落語会があるけど、どう?」と誘った時に「誰が出るの?」と聞き返す人はだいたい来ない。本当に来る人は、まずOKしておいてから「ところで…」と聞いてくるものです。

二代目会長 鈴木 稔

聞いているだけで笑う、泣く、学べるという「落語」は、実によくできています。本を素読みにしたってけっこうなものを、節をつけて聞かせようという…こんな素晴らしい伝統ある話芸を、日本人でありながら理解していない人が多すぎます。
それにあの寄席文字の美しいこと。まさに墨痕淋漓。かぐわしい墨の匂いがあふれているようです。そして太鼓、三味線、笛、鉦。あんな素晴らしい寄席に行かない人の気が知れません。日本人として損です。日本の話芸を守るため、落語家の生活を向上させるため、落語を聞きましょう。

二代目会長 鈴木 稔

落語研究会といっても各大学にあるわけだから各校それぞれに目的とするものがあるだろうが、明大の場合「楽しいクラブだ」という一言で言いつくしているように思う。

落研に入ってきた動機は各人マチマチだろうからこのクラブの中で各々自己実現していけばいいのだろう。自分が現役の学生時代はこんな考えではなかったが、世の中が多少分かってきたような年齢になってみると、そして現代の若い人を見ているとそれでいいのではないかと思う。

落語を演じたい人、寄席文字を習いたい人、また古典落語を生んだ江戸文学や文化の研究をしたい人、それぞれプロになったり、社会人教室の講師になったりし ている、また落語をやっているうちに歌舞伎に興味を持った人もいる。私の学生時代の上級生にはプロ(春風亭柳昇師匠)の台本を書いていた人もいる。
それぞれ素晴らしい事だと思う。

初代会長 小川 和彦

ただ、落語研究会である以上落語は好きであってくれなくては困る。落語は好きじゃないが、面白そうだから入ってきたというのでは他の部員に対しても失礼だ。ただフザケテいるのが落研ではない。

そうは言っても、固っくるしければいいぃてえもんじゃない。
「謙虚とは、固っくるしい奴がなり」という川柳もある。マア楽しくヤリャ-しょう。

初代会長 小川 和彦